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東京地方裁判所 平成6年(ワ)20318号 判決 1995年12月22日

原告

木村和男

石井正俊

右両名訴訟代理人弁護士

平井和夫

被告

大東京信用組合

右代表者代表理事

関水誠

右訴訟代理人弁護士

河和松雄

河和哲雄

林保彦

河和由紀子

主文

一  原告らの請求をいずれも棄却する。

二  訴訟費用は原告らの負担とする。

事実及び理由

第一  請求

被告は、原告木村和男(以下「原告木村」という。)に対し、六〇〇〇万円及びこれに対する平成五年四月一日から支払済みまで年五分の割合による金員を、原告石井正俊(以下「原告石井」という。)に対し、九〇〇〇万円及びこれに対する同日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

第二  事案の概要

一  本件は、株式会社野村地所(以下「野村地所」という。)振出しにかかる別紙手形目録(一)及び(二)各記載の約束手形につき手形上の権利を有すると主張する原告らが、右各手形が偽造を理由として不渡りとなったことに関し、支払銀行である被告が、野村地所のため、手形交換所の取引停止処分を免れるための異議申立及び異議申立提供金免除請求を行ったことは違法であり、その結果原告らが損害を被ったと主張して、被告に対し、不法行為による損害賠償請求として、原告木村が六〇〇〇万円(別紙手形目録(一)記載の二通分)、原告石井が九〇〇〇万円(別紙手形目録(二)記載の八通分)及び右各金員に対する平成五年四月一日から支払済みまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める事案である。

主な争点は、被告が右の異議申立及び異議申立提供金の免除請求を行ったことの違法性の存否、原告らの損害の有無及び被告の右行為と右損害との因果関係の存否である。

二  前提となる事実関係

1  野村地所は、別紙手形目録(一)及び(二)各記載の各約束手形(以下「本件各手形」という。)をそれぞれ振り出し、流通においた(甲第一ないし第一〇号証、弁論の全趣旨)。

2  本件各手形は、いずれも平成五年三月三一日が支払期日となっていたが、すべて偽造という理由で不渡りとなった(争いのない事実)。

3  被告(荏原町駅前支店扱い)は、本件各手形について、東京手形交換所に対し、偽造を理由とする不渡届を提出するとともに、振出人である野村地所からの依頼に基づき、平成五年四月二日及び同月五日の二回にわたり、本件各手形のすべてについて異議申立及び異議申立提供金免除の請求(以下「本件異議申立」及び「本件免除請求」という。)を行った(乙第一一ないし第二〇号証、弁論の全趣旨)。

4  本件免除請求は、平成五年四月二二日開催の東京手形交換所の不渡手形審査専門委員会で審議の結果、いずれも却下されたが、その後所定の期間内に異議申立提供金が提供されなかったため、野村地所は同年四月五日付で銀行取引停止処分を受けた(乙第八号証、弁論の全趣旨)。

三  争点

1  被告が本件異議申立及び本件免除請求を行ったことの違法性の存否

(原告らの主張)

(一) 被告は、野村地所から本件各手形について異議申立の手続を依頼された際、本件各手形が明らかに偽造でないことを知っており、又はこれを十分知り得る立場にあったのであるから、所定の期限までに手形交換所に不渡手形金相当額を提供して異議申立をする義務があるのに、それをしないで、あえて、手形交換所規則第六六条第一項但書に基づき、異議申立提供金の免除請求をしたことは違法である。

(二) また、被告は、取引先である野村地所に本件各手形を決済するための資金がないことを知っていたのであるから、金融機関としては、資金不足により不渡とする義務があるのに、それをしないで、本件異議申立によって原告らが受ける影響を熟知していながら、あえて手形交換所に対し本件異議申立を行ったこと自体、違法である。

(被告の主張)

(一) 被告に対して野村地所から異議申立の依頼がなされた当時、本件各手形が偽造でないことを疑わせる事情はなかった。仮に交換呈示された手形が偽造でないことが客観的に明らかであるならば、他に異議申立の理由とすべき事由がない限り、金融機関としては、当該手形を決済するか、その資金不足の場合には一号不渡の手続をとるかのいずれかであって、異議申立を行うべき義務が生じる余地はない。

(二) 東京手形交換所規則施行細則第七七条第二項第二号によれば、一号不渡事由(「資金不足」、「取引なし」)と二号不渡事由が重複する場合において、二号不渡事由が偽造又は変造である場合は、二号不渡とするべきものと定められている。本件においては、野村地所から被告に対し本件各手形は偽造であるから二号不渡として支払拒絶、異議申立並びに異議申立提供金免除の請求を行ってほしいとの申出がなされていたものであり、被告は右細則に従って二号不渡の手続きを取ったに過ぎない。

(三) そもそも手形決済事務を行う金融機関は、当座勘定取引契約を締結した預金者(手形振出人)に対し、同契約に基づいて手形交換所の諸規則に従い事務処理を行う職務を担うものではあるが、手形所持人に対して何らかの義務を負うものではない。被告が本件各手形に関してした異議申立手続は、東京手形交換所規則施行細則の定めに従い、野村地所との間の当座勘定取引契約上の受任者としての義務を遂行したに過ぎない。

2  原告らの損害の有無および本件異議申立と原告らの損害との間の因果関係の存否

(原告らの主張)

(一) 被告は、本件各手形が明らかに偽造でないことを知りながら、あえて本件免除請求を行った。その結果、野村地所が異議申立預託金を積んでいれば、本件各手形の所持人は、右預託金を仮差押えするなどの方法で手形金を回収することができたのに、それができなくなってしまったため、原告木村は六〇〇〇万円、原告石井は九〇〇〇万円を支払って手形所持人から手形を買い戻さざるを得なくなり、野村地所が本来不渡手形金額相当額の預託金を積んでいれば出捐する必要のない金員の支出を余儀なくされたほか、遡求権行使の機会を失わしめられた。更に、原告石井の経営する有限会社石井商事は、右出捐がもとで平成六年一月に倒産した。

(二) 原告らは、被告が本件各手形について偽造を理由に本件異議申立を行った結果、原告らが本件各手形を裏書譲渡した取引先や金融機関から、原告らが関与した偽造手形を廻したとの評価を受けてその信用を失い、右有限会社石井商事はその影響もあって倒産した。原告らが被った名誉・信用毀損による損害は甚大であり、偽造と称された手形金額に相当するというべきである。

(被告の主張)

(一) 野村地所は、本件各手形が呈示された当時資金不足の状態であり、本件免除請求が手形交換所により却下された後、被告が異議申立預託金の預託が必要であることを連絡したにもかかわらず、これを預託しなかった。このように野村地所はもともと資金不足の状態にあったのであるから、被告がした本件異議申立と原告との出捐との間には因果関係が存在しない。

(二) また、偽造を理由とする異議申立に偽造関与者を具体的に推認させる効果はないから、本件異議申立と原告らの主張する信用失墜の損害との間に因果関係はないし、損害額が手形金相当額となる旨の主張は失当である。

第三  争点に対する判断

一  まず、被告が本件異議申立及び本件免除請求を行ったことが、原告らとの関係で違法と評価されるか(争点1)について判断する。

本件においては、本件各手形の支払銀行たる被告が、振出人である野村地所から依頼を受けて、本件各手形につき偽造を理由とする異議申立を行い、併せて異議申立提供金免除請求を行ったことについて、手形受取人の立場にあったと主張する原告らに対する注意義務違反の有無が争点となっている。そこで、右争点に対する判断の前提として、そもそも約束手形の支払銀行が振出人の依頼を受けて異議申立を行うに際して、手形受取人に対してどのような義務を負うのか検討する。

そもそも異議申立とは、不渡事由を生じて手形が不渡返還された場合に、その不渡事由が取引先の信用に関しないものと支払銀行が認めた場合、支払銀行が、当該手形の振出人との間の当座勘定取引契約上の受任者として、関係手形交換所の規則に従い、手形交換所に対して、手形金相当額の異議申立提供金を提供して不渡処分の猶予を求める手続である(東京手形交換所規則第六六条、同施行細則第七八条参照)。そして、不渡事由が偽造又は変造の手形については、その振出人は同事由を誰に対しても対抗できる(いわゆる物的抗弁)ため、提供金を必要としないで異議申立ができる、いわゆる提供金免除の特例扱いが認められている(同規則第六六条、同施行細則第七九条参照)。

このように、異議申立は、支払銀行が、手形振出人の委任に基づき、手形交換所に対してする手続であり、異議申立提供金は、支払銀行が自身の金員を手形交換所に対して提供するものである。この場合、手形振出人が異議申立の事務を委任するに際し、委任事務処理費用の前払いとして、支払銀行に手形金相当額を預託することがあるが、その場合でも、支払銀行は右預託金をそのまま手形交換所に提供するものではなく、あくまで支払銀行が独自に金員を提供するものであるから、手形交換所に対する異議申立提供金の返還請求権は提供銀行たる支払銀行のみが有するものであって、振出人がこれを有するものではない。したがって、振出人の債権者であっても、直接異議申立提供金の返還請求権を差し押さえることはできない。

本件の原告らが、その主張するとおり本件各手形の受取人であると認められたとしても、受取人はもともと直接異議申立提供金の返還請求権を差し押さえることすらできない立場にあるのであるから、振出人が支払銀行に対し異議申立預託金を預託した場合に、その返還請求権に対して一般債権者の立場を有することはともかく、支払銀行が手形交換所に対して提供する異議申立提供金について何らかの権利を有すると解することはできない。また、異議申立預託金は、振出人が、不渡処分を免れるため、手形交換所に異議申立提供金を提供させる目的で、支払銀行に預託する金員であって、手形所持人等のために手形金支払を担保する目的で預託される金員ではないから、支払銀行としては、手形所持人等のために振出人に右預託金を預託させるべき注意義務を負うものとは解されない。

支払銀行の行う異議申立ないし異議申立提供金免除請求が右のようなものである以上、支払銀行は、異議申立ないし異議申立提供金免除請求を行うに当たって、当該手形の受取人や所持人に対して何らかの注意義務を負うことはなく、当該手形が実際に偽造又は変造されたものであるかどうかの調査義務を負うものではないし、仮に当該手形が偽造であることを支払銀行が何らかの事情によって知り、あるいはそのことにつき疑いを挟むべき事情が存在したとしても、支払銀行は、手形受取人や所持人に対する関係で、振出人の異議申立又は異議申立提供金免除請求の依頼を拒絶すべき義務を負担するものではなく、振出人をして異議申立預託金を預託させるべき義務を負うこともないというべきである。

二  したがって、支払銀行が不渡手形の受取人に対して右のような義務を負うことを前提とする原告らの主張は、それ自体失当であるといわざるを得ず、原告らの請求は、その余の争点について判断を加えるまでもなく、理由がないというべきである(なお、原告らの文書提出命令の申立は、以上の判示から明らかなように、本件については証拠調を要しないので、却下を免れない)。

第四  結論

以上のとおりであるから、原告らの本件請求はいずれも理由がないからこれを棄却するほかはなく、訴訟費用の負担につき民事訴訟法第八九条、第九三条第一項本文を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官魚住庸夫 裁判官松藤和博 裁判官田中孝一)

別紙手形目録(一)(二)<省略>

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